金沢寺町 本隆山 承証寺

 

法華宗(本門流)に属し、本山は京都本能寺。

 

 天正17年(1589)、加賀藩士であった服部佐渡守が加賀藩初代藩主・前田利家に願い出て

尾張町に寺地を拝領し、日種上人を開基として創建した。後、古寺町(現・片町)を経て、

元和2年(1616)頃に泉野寺町(現・寺町)の現在地に至る。

 

 寺内の鬼子母神に祀られている鬼面は、安宅浦の海中より浮かび上がったものとして秘蔵されてきたもので、霊験があるといわれている。 

 また江戸時代初期の画家、俵屋宗達晩年の作とされる「萩に兎」が本堂板戸に残されて

いる。(※「鬼面」と「萩に兎」は通常非公開)

 

 当寺境内には、幕末の元治の変(1864)に際して勤王の説を唱えて処刑された福岡惣助の墓などがある。また庫裡の玄関前には、もと中庭に据えられていた手水鉢があり、これは江戸時代の三大お家騒動の一つとして知られる加賀騒動で有名な大槻伝蔵ゆかりのものとされ、黒戸室石で作られており、大槻家の木瓜の紋がくりぬいてある。